生成AIが申立て書類を代筆し、住宅分野の苦情件数が各国で急増しています。
英国の住宅オンブズマンに寄せられた苦情は、2022年の2,600件から直近年度には7,000件超へと2.7倍に膨らみました。米テック誌のTechCrunchが2026年9月10日に報じた研究によれば、これは住宅分野に限った話ではなく、11の法域・84のケースで同じ形の急増が観測されています。日本でも賃貸住宅の原状回復トラブル相談は2025年度に14,711件と前年度比で約10.5%増えました。賃貸管理の現場に届くクレームの量と質が、AI申立てによって構造的に変わりつつあります。本記事は、宅建業免許(東京都知事(1)第113520号)を保有し、AI導入コンサル100社超の実績を持つ株式会社オルセル(不動産のチカラ運営)が解説します。
AI申立ての急増は住宅分野が最前線に立っている
AIによる申立ての急増は、住宅・不動産の窓口で最も濃く出ています。研究者のクリス・シュミッツはこの現象を「エージェンティック・フラッディング(agentic flooding)」と名付け、来月のAI倫理・社会会議で発表予定の論文で、11の法域にまたがる84件の事例を分析しました。その筆頭に挙がっているのが英国の住宅オンブズマンです。2022年に2,600件だった苦情は直近年度で7,000件を超え、ChatGPT登場前の水準から2.7倍になりました。
同じ期間に、米国の消費者金融保護局(CFPB)に寄せられた苦情は5倍に増えています。ブラジルの司法申立てやドイツの議会請願でも同様の跳ね上がりが確認されました。全データセットは研究者本人のサイトで公開されています。特徴的なのは曲線の形です。2022年まではおおむね横ばいだった申立て件数が、そこから加速度的に伸び、しかも大半のケースで伸びが鈍化していません。つまり、まだ増え続ける局面の入口にいるということです。
ここで重要なのは、増えている申立ての中身です。シュミッツはTechCrunchの取材に対し、「私たちが見つけるケースの大半は、何かを請求する権利がある人が、その権利を請求しているものです」と述べています。低品質なAI生成スパムが押し寄せているのではなく、これまで手続きの煩雑さを理由に諦めていた正当な請求者が動き出した、という整理です。政策研究の世界で「行政的負担(administrative burden)」と呼ばれてきた参入障壁を、AIが取り払いつつあります。
もっとも、対応する側の負荷が軽くなるわけではありません。シュミッツは、昨年バグバウンティ(脆弱性報奨金)プログラムがLLM生成の低品質レポートに埋もれた事例を引き合いに出しています。中身の薄い報告でも企業側は検証義務を負うため、リソースが削られました。予算据え置きのまま申請者が5倍になる公共窓口も、構造は同じです。
日本の原状回復トラブルは2025年度に14,711件へ増加
日本の賃貸管理でも、同じ方向の数字が出ています。国民生活センターがPIO-NET(全国消費生活情報ネットワークシステム)に登録された賃貸住宅の原状回復トラブル相談件数を公表しており、2023年度13,273件、2024年度13,312件と横ばいだったものが、2025年度は14,711件へと約10.5%増えました。2026年度も5月31日時点で1,846件と、前年同期の1,645件を約12.2%上回っています。
ただし、国民生活センターはこの増加の原因をAIだと説明していません。増加とAI普及の因果関係については要確認としたうえで、相談内容の中身に目を向ける価値があります。同センターが2026年2月17日に公表した注意喚起では、経過年数6年のマンションで壁紙のソファ跡を理由に工賃を請求された事例や、入居時と退去時の両方でエアコンクリーニング代を請求された事例が挙がっています。いずれも、国土交通省の原状回復をめぐるトラブルとガイドラインに照らして争点が明確なタイプの請求です。
論点はここにあります。従来、こうした請求に納得できない借主が実際に反論へ進むには、ガイドラインを読み込み、経過年数による減価の考え方を理解し、特約の有効性を調べ、文章にまとめるという工程が必要でした。生成AIはこの工程を数分に短縮します。シュミッツも、以前はChatGPTに細かく文脈を与えて精密に指示する必要があったが、いまは請求書の写真をアプリに貼るだけで十分な回答が返ってくる、と変化を説明しています。日本の管理会社にとっては、退去精算の明細書を撮影されてAIに投げられる前提で請求根拠を組み立てる段階に入ったということです。
賃貸管理会社がとる3つの備え
第一に、原状回復の請求明細を「説明資料」として設計し直すことです。金額の羅列ではなく、該当箇所ごとに国交省ガイドライン上の区分(経年変化・通常損耗か、故意過失か)、耐用年数に応じた減価の考え方、根拠となる特約の条文を並記します。AIが最初に突くのはこの3点であり、明細の段階で埋めておけば、往復回数そのものが減ります。請求金額を下げる話ではなく、説明可能性を上げる話です。
第二に、入居時と退去時の記録を構造化して残すことです。国民生活センターも消費者に対して入居時から写真とメモで記録を残すよう案内しており、借主側の証拠は今後厚くなります。管理側が日付入りの写真を部屋単位・箇所単位で検索できる形に整えていなければ、証拠の非対称が生まれます。撮影そのものは既に多くの現場でやっているはずなので、投資すべきは撮影ではなく、後から引き出せる保管の仕組みのほうです。
第三に、増える一次対応をAIで吸収する際の線引きを先に決めることです。問い合わせの分類、過去の類似案件の検索、回答案の下書きまではAIに任せられます。一方で、宅建業者としての説明責任は人が負うため、借主へ出す最終回答は担当者が確認する運用を崩さないことが要点です。あわせて、氏名や住所を含む明細をそのまま外部AIサービスへ投入しない運用ルールも同時に決めておく必要があります。この点は不動産のAI活用と個人情報保護法で整理しているほか、社内へのAI導入順序は社内ナレッジAIの進め方で扱っています。敷金設定そのものの見直し圧力については敷金縮小とAI与信の論点もあわせて参考にしてください。
まとめ
AIによる申立て急増は、悪意ある大量送信ではなく、正当な請求のハードルが下がった結果として起きています。英国の住宅オンブズマンで2.7倍、米CFPBで5倍という数字は、日本の賃貸管理にも遅れて届く可能性が高い変化です。国内の原状回復トラブル相談も2025年度に14,711件へ増えました。管理会社が備えるべきは、クレームを弾く仕組みではなく、請求根拠を最初から説明可能な形にしておくことです。明細の設計、記録の構造化、AI一次対応の線引きの3点から着手することをおすすめします。
参考文献
- TechCrunch – AI agents are flooding public services with new requests
- Chris Schmitz – Agentic Flooding(論文PDF)
- Chris Schmitz – Flooding dataset
- 国民生活センター – 賃貸住宅の原状回復トラブル(相談件数の推移)
- 国民生活センター – 賃貸住宅の原状回復トラブルにご注意!(2026年2月17日)
- 国土交通省 – 「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」について
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引用元: TechCrunch
【監修】齋藤竹紘(株式会社オルセル代表 / EC支援19年5,000社超・AIコンサル100社超 / 宅建業免許 東京都知事(1)第113520号)